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対談:『細尾代表取締役 細尾真生 X 村山祥栄』

対談:『細尾代表取締役 細尾真生 X 村山祥栄』

京都版「陸王」革新の真骨頂、ここにあり。

村山祥栄
さて、早速ですが、昨年は空前のドラマ「陸王」ブームで、老舗企業のイノベーションが注目されました。そんな中、陸王のドラマ番宣企画の中で、まさに京都の「こはぜや」として御社が紹介されていました。今日はそんな「リアル陸王」なお話を伺っていきたいと思います。
細尾真生
「陸王」では足袋でしたが、我々は西陣織。共にマーケットが縮小し、これまで通りの経営では立ち行かなくなってきています。西陣織のピークは1982年。二兆円市場はいまや2800億円へ縮小しました。欧米化やライフスタイルの変化なのだと思います。特に我々の業種、帯の需要は激減しました。
村山祥栄
御社は、製造から問屋まで幅広く事業展開されているので大変だったのでは?
細尾真生
弊社は1688年織物業として創業し、1923年に卸売業へ転換、そして業界がどん底になりつつあった1995年製造業を再開、メーカーと問屋の二本柱で展開しています。製造・問屋・小売とありますが、製造は一番厳しい。とにかく新しい職人が来ず、技術の伝承が途切れつつある危機的状況です。
村山祥栄
でも、御社の工房は元気のある20~30代の若手ばかりです。成長も著しい。そのあたりの秘密、「西陣織イノベーションの奇跡」についてお話を伺っていきたいと思います。
細尾真生
そもそも私は1975年同志社大学を卒業し、伊藤忠商事に入社しました。グローバル社会の到来、会社は弟に継いで貰って自分は国際的に活躍したいと思っていました。繊維国際貿易本部に配属され、イタリア・ミラノの子会社に4年間出向させてもらいました。外に出て初めて気づくとよく言ったもので、ミラノに住んで帯の美しさや良さを再認識するようになりました。そして、「西陣織は世界に通用する」そう確信し、いずれ西陣織を世界に広める仕事がしたいと決意しました。
村山祥栄
ではミラノの4年間が原点ということですか。
細尾真生
その通りです。そして1982年、西陣織の売り上げがピークの時に帰郷。「西陣織を世界へ広めるぞ」と意気込んで細尾に入社しましたが「そんなことせんでも十分儲かる。わからんもんにお金と時間と労力をつぎ込むのはムダや。今のままで安泰や。」と社内は冷ややかでした。とはいえ、年々売上げは右肩下がりで、40億あった売り上げは20億、15億と下降の一途、段々倒産が見えてきます。そして徐々に社内にも焦りが出てきます。
村山祥栄
座して死を待つなら攻めるしかない!と。ここから快進撃が始まるわけですか?
細尾真生
そう簡単ではありません。ミラノの夢に賭けるぞと2006年、メゾン・エ・オブジェ(※フランスで開かれる世界最大のデザイン系の見本市)に西陣織を出展しました。高評価を頂くも注文0、売上0、最悪のスタートでした。2005年~2009年、生みの苦しみの5年でした。本業も利益が出ない。新事業でも利益が出ない。自己資本比率が高かったので何とか凌げましたが、どんどん追い込まれていきます。
村山祥栄
まさに「陸王」の役所広司さんですね。その生みの苦しみからどうして脱却を?
細尾真生
課題は3つでした。ひとつは、独自性、強みです。世界の他のメーカーがやっていないもの、作れないものを作ること。独自の素材を確立することです。これは従来の西陣織の積み上げがありますから箔と呼ばれる金銀を織り込んだ生地を中心に開発をしていきました。そしてふたつめは価格です。海外では「値段が高すぎる。0が一個多い」と言われた。そりゃそうですよ。元々西陣織は金に糸目をつけない宮中や大名、特別な金持ちの為に織られた織物です。価格競争なんてありません。一家の名誉を賭けて最高の製品を納めるという世界です。いうなれば国際競争力がなさすぎるわけです。
村山祥栄
それをどうして克服したのですか。
細尾真生
克服してません(笑)。発想の転換です。あるとき、ひらめいたのです。フェラーリはとんでもなく高い車ですが売れます。フェラーリは売れるからといって安い大衆車を作らないでしょう。ラグジュアリー層が高くても買うのです。そうだ、織物のフェラーリになろうと決意しました。
村山祥栄
現在、世界中のハイブランドが御社の社名タグをつけて商品を売り出しています。これは「うちの商品は、あの細尾ブランドの生地を使っているすごい製品なんだぞ」というアピールで、最高級の製品だという証明ですよね。スーツでいうと、うちのスーツは最高級のゼニアの生地だと。ロロピアーナの生地だと。まさに織物のフェラーリですね。
細尾真生
あの時、価格競争を追及していたら今の細尾はなかったと思います。
村山祥栄
なるほど。独自の商品、価格、そして、3つ目の課題は何だったのでしょうか?
細尾真生
生地幅です。帯を作る織機は40センチ幅までしか織れません。世界から要求されたのは150センチです。我々の発想だと40センチしかないという前提で商品開発を考えるから、これは驚きと同時に大変困りました。何せどうしたって織れないわけですから。結論から言うと、結局技術士を集めて、何度も何度も試行錯誤して150センチの広幅が織れる織機を一から作りました。結果、我々だけが150センチの広幅の織物が織れるようになりました。これが圧倒的な当社の強みとなっていきます。
村山祥栄
技術とマーケティングのイノベーション、苦節5年。そして2009年、快進撃が始まるわけですね?
細尾真生
最初の客はクリスチャンディオールでした。ニューヨークで三本指に入る設計事務所から北京の旗艦店を作るので壁材として納品してほしいというものでした。インテリアの内装材としての発注でした。これがはじまりでした。高い評価を頂き、今ではディオールの75カ国150の店舗でうちの織物が内装材に使われています。
村山祥栄
そして、ルイヴィトン、シャネル、エルメスなどの店舗、また真珠のミキモト銀座本店なんかでも使われていますね。
細尾真生
ブランドショップだけではありません。京都でいえば、リッツカールトン、ハイアット、フォーシーズンなどのホテルのスイートの内装やクッション、カーテンなどにも使って頂いています。
村山祥栄
帯としての生地がインテリアに変化し、確立された。西陣織はこれからインテリア商材として展開していくわけですか。
細尾真生
いえいえ、インテリアに留まりません。ミハラヤスヒロというパリコレ常連のデザイナーがいますが、彼の製作チームは弊社のサロンに一週間泊まり込みで合宿をし、弊社の生地を使った作品を多く製作し、パリコレで高い評価を頂いています。レディーガガの靴の製作などで有名なデザイナー串野真也氏の靴のコレクションにも素材を提供しています。カメラのライカ、鞄のゼロハリバートン、時計のセイコーなどにも弊社のブランドのダブルネーム(ライカ×細尾)で素材を供給しています。最近は、ホンダや日産のコンセプトカーの内装もさせて頂いております。
村山祥栄
つまり、内装材から車、服飾、小物の素材と多種多様な商品へ素材を供給されてるわけですね。次なる展開も考えられていますか?
細尾真生
既にイノベーションは次のステージに入っています。2007年、パナソニックのスピーカーがミラノサローネ(世界最大級の家具の見本市)で東洋唯一の受賞を果たしました。そこに使われているのはうちの織物です。触ると音が出る織物。センサー機能を持った生地を共同開発しました。今は、つくばの農研機構と共同で光るシルクの開発をしています。ドラマ「陸王」でシルクレイという架空の素材を開発したモデルになっているところです。21世紀の光のシルクです。日本にしかないカイコを作り、織物を作るのです。
村山祥栄
まさに先端技術にデザインを組み合わせ、ビジネスチャンスは無限に広がるわけですね。
細尾真生
今まで無かったものを生み出す。レッドオーシャン(既存の価格競争市場)では戦わない。我々はブルーオーシャン(新規開拓市場・不戦市場と呼ばれる)で戦うのです。同じ苦労をするなら新しいことの為に苦労しようと思っています。サイエンス(科学)×エンジニア(技術)×カルチャー(文化)×デザイン(意匠)、この4つの組み合わせがヒットのカギです。ダイソンがその典型です。
村山祥栄
アップル社なんかもそうですね。科学や技術だけではダメだし、デザインだけでもダメってことですね。
細尾真生
その通りです。この組み合わせこそが高付加価値高価格のビジネスモデルなのではないでしょうか。それこそが強みであり、強みがあれば中小零細企業でもどんな大企業とも対等になれる。
村山祥栄
まさに京都が目指すビジネスモデルですね。科学も技術も文化もある。日本古来の独特の意匠から発展したデザイン力も実は京都にある。そういう意味ではデザインにももっと注目すべきかもしれませんね。
細尾真生
実は京都のデザイン力が世界的に注目されており、大企業のデザインラボを京都に作ろうという動きがあります。
村山祥栄
ポートランドに世界のスポーツブランドのデザイナーが集積されているように、デザインの集積も京都で進めていきたいですね。今日は、伝統産業の技術革新だけでなく、これからの京都の目指すべき課題も見えてきた気がします。そして、企業の未来も京都の未来も大切なのは「不易流行」だなと痛感しました。本日はありがとうございました。