対談:『冷泉家時雨亭文庫常務理事 冷泉貴実子 X 村山祥栄』
京都御苑の北西に位置する冷泉家公家屋敷。藤原道長をルーツにもつ由緒ある冷泉家は、明治時代に入り他の多くの公家が東京へとお供した中、京都に残り、現在もなお都であった時代の姿を残す唯一の公家屋敷とともに、多くの文化遺産を守りながら京都の変化を代々見守り続けてきた。今回はその冷泉家第24代当主のご長女で、冷泉家時雨亭文庫常務理事の冷泉貴実子さんにお話を伺った。
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冷泉家時雨亭文庫常務理事 冷泉貴実子「京都が声を挙げるのは今しかない!」
- 村山祥栄
- 本日はお忙しいところありがとうございます。早速ですが、今上天皇のご譲位がまもなく決定しようとしています。本日はそれを受けて、今お感じになっていることを是非伺いたいと思います。
- 冷泉貴実子
- 東京で全てを完結させるのは簡単ですが、簡単だからというのはちょっと違います。特に文化というものはそういうものではいけないと思います。御所の中には『仙洞さん(仙洞御所)』がありますけど、「仙洞さん」と言うのは、「上皇」という意味ですからね。
- 村山祥栄
- そうですね。実に素晴らしい庭が残されていますよね。大宮御所も使えるのでは?
- 冷泉貴実子
- 何度も大宮御所には足を運んでいますが、あそこは和風の建物を無理やり洋風にしたようなところがあって、住むのは難しいのではないでしょうか。それより、仙洞御所の中に新しい建物を建てて住んで頂ければいいと思いますよ。
- 村山祥栄
- 東京のほうがいいと言う声もあるようですが。
- 冷泉貴実子
- 確かに両陛下は東京生まれです。陛下がどちらをお望みかはわかりません。でも、京都がありますねん!という時は今しかない。後から何を言っても、タイミングを外しては何の意味もありません。最近の宮内庁は少し閉鎖的過ぎる気がします。今こそ全ての始まりは御所だということを示すべきです。
- 村山祥栄
- せっかく日本の粋を集めて迎賓館も作ったのに、大変もったいない。
- 冷泉貴実子
- そうです。世界の国賓をお招きしても、お迎えする人がいない。ホスト役がいないわけです。皇室の方がいらっしゃればお迎えすることも出来ます。そうすればもっと有効に活用できるのではないでしょうか。常駐が難しくても、これを機に頻繁にお戻りいただければ、色々なことができるでしょう。
- 村山祥栄
- せめて御用邸(※天皇・皇族の別荘)にでもなれば変わってきますよね。何も葉山の御用邸に行かずとも、ご先祖様が眠る京都で静養されてもいいですよね。
- 冷泉貴実子
- それはいい考えです。そもそも、葉山の御用邸も新しい天皇に引き継がれるわけですから、上皇の御用邸があってもいいと思います。いずれにしても、声を挙げるのは今しかありません。
「文化の変動、明治時代を経て」
- 村山祥栄
- 是非その機運を高めたいですね。さて、せっかくですので、宮中文化を守り続けてきた冷泉さんには宮中文化についてもお伺いしたいのですが。
- 冷泉貴実子
- そもそも、明治を境に天皇家自体が大きく変化しました。それまでは年中行事を中心に皇室は存在していました。禁中並公家諸法度が江戸時代に出来て、天皇の行動も含めて大きく制限され、年中行事をすることが日々の中心でした。その為、禁裏に出入りする公家はそれを補佐する存在として、当家なら和歌、山科家なら衣紋、園家は雅楽、という具合に各家は学問を家業とし、宮中行事を支えるプロとして活躍していました。
- 村山祥栄
- その公家の雅な宮中文化が京文化を培ってきたわけですね。
- 冷泉貴実子
- 武家は公家にその雅な文化を学びにきていた。一種の憧れですね。それが町へ出れば町家風に、寺へ行けば寺風に変化し、今日へ伝わってきたわけです。上方文化というと吉本やとか仰いますが、本来、上方文化というのは公家文化を指すのです。その上方文化が京都からよそへ下っていった。「下らない(くだらない)」という言葉も、この下りもんから来ていると言われています。
- 村山祥栄
- それが、明治になって、天皇陛下が政治家に戻られたと?
- 冷泉貴実子
- その通りです。政治家に戻られて、その際に年中行事の多くが廃止になりました。公家も東京へご一緒し、その多くは政治家へと転身しました。これは戦後になるまで続きました。
- 村山祥栄
- 冷泉家だけは一緒に東京へは行かれなかった。京都に残った公家としては唯一の存在ですね。
- 冷泉貴実子
- 冷泉家は京都に残り公家文化を守る立場になりました。歌道を家業とし、すでに多くの門弟を抱えたことも大きかったと思います。
- 村山祥栄
- よく残ってくださいましたよね。結果、今では唯一の公家屋敷になりました。
- 冷泉貴実子
- 明治後期に荒廃した公家屋敷を取り壊し、現在の京都御苑の形状になるわけですが、その囲いの外だったので、ここは残せたのです。土地はあるし、華族になっていたので、食べていくことは出来たようです。しかし、明治に入って、廃仏毀釈に代表されるように文化の変動が起こります。価値観の変化と言いましょうか。これまでの宮中文化を捨て、鹿鳴館のダンスに変わり、近代化していったわけです。
「即位礼は京都のオリンピック」
- 村山祥栄
- 今こそそれを取り戻すべきだと。日本ほど王朝文化が大切にされていないのも珍しいですよね。
- 冷泉貴実子
- そう、王朝文化。だからこそ、御所という舞台が大切になってくるのです。そこで、大事なのは即位礼です。
- 村山祥栄
- 今上天皇が譲位されると同時に新天皇が即位される即位礼が行われますね。
- 冷泉貴実子
- その即位礼を京都でやるべきです。即位礼ほど世界に日本文化をアピールする好機はありません。昭和天皇のときは実に華やかでした。
- 村山祥栄
- 即位礼をですか。京都市では即位式は東京で、大嘗祭は京都でと言っています。即位礼は規模が大きすぎて京都では難しいというのが言われていますが。
- 冷泉貴実子
- だからこそ御所なんです。御所以外で大々的な即位礼が出来る場所はありません。東京では大々的に出来ないのです。あの紫宸殿の前にずらりと並んでやるのです。実際、昭和までは京都でやっていたのですから。世界中のメディアも呼んで大古代絵巻というか大王朝絵巻を京都でやるんです。日本文化、京都の絶好のアピールになります。
- 村山祥栄
- 京都にとっては「東京オリンピックの開催時に何かを~」などと言っている場合ではありませんね。
- 冷泉貴実子
- そう、京都にとってはオリンピックどころの騒ぎじゃない。これをやることで、日本中の伝統産業が活気づく、途絶えつつある技術が次へ繋がるのです。
- 村山祥栄
- 伊勢神宮の式年遷宮も、文化や技術を途絶えさせないという意味も大きいですからね。
- 冷泉貴実子
- 文化の復興、伝統産業の振興といっても、何事にもきっかけが必要です。即位礼はその大きな好機です。御所を舞台に出来ることは沢山あります。滅びた宮中文化の復活もきっかけがいるのです。
- 村山祥栄
- 今上天皇の退位後のお住まいと即位礼の京都開催、京都にとってどちらも大きな意味を持っていますね。
- 冷泉貴実子
-
そうです。その為には今しかないのです。是非しっかり取り組んで下さいね。
その為の協力は惜しみませんよ。
- 村山祥栄
- 我々も自分に出来ることを精一杯努めたいと思います。ありがとうございました。
(そういって、我々が実施している署名用紙にそっと署名をして下さいました。)