八幡和郎 X 村山祥栄 対談インタビュー
- 村山祥栄
- いつもありがとうございます。相変わらず恐ろしいペースで執筆活動をこなしていらっしゃいますね。もう何冊出されましたか?
- 八幡和郎
- 120冊ぐらいです。毎年10冊ペースです。
- 村山祥栄
- 一年10冊ですか?!政治課題から皇室、歴史に至るまで、本当に幅広いジャンルで御活躍ですね。
それでは今日は、『双京構想』と言うほうが馴染みがあるでしょうか、我々京都党の基本政策である『京都文化首都構想』について、皇室文化の御研究をなさっている八幡和郎先生にお話を伺いたいと思います。
- 八幡和郎
- 双京構想ですね。じゃあ、質問です。京都は都でしょうか?そうでないのでしょうか?
3択です。
① 1868年(明治元年)に東京遷都した。
② まだ都である。
③ ある時点で都じゃなくなった。
どれでしょう?
- 村山祥栄
- 願望も含めて2番!!
- 八幡和郎
- なるほど。私はどっかの時点で都でなくなったと思うのです。つまり、③ですね。どっかというのは明治13年、岩倉具視の死んだ年だと思います。御所は当時農地として売る計画すらあったのが一転、『御大典』[※即位の礼と大嘗祭、その他一連の儀式のこと]は京都でやる、京都御所を保存するということが決まった年です。つまり、事実上の東京遷都からあと色んな議論があったのを、御大典は京都ですると言うことで、最終決着したのがこの年です。つまり東京遷都は確定するけれども、首都機能のうち儀典都市としての部分は京都に残すことで妥協が成立したのです。だから、東京が首都であることと、京都で御大典をすることは本来、ワンセットなのです。
- 村山祥栄
- 確かに当時、京都御所を残して欲しいという明治天皇の意がありました。また御自身の御陵も、桃山にしてほしいと仰ったと言われています。
- 八幡和郎
- そう。当時、サンクトペテルブルクでロシア皇帝の即位礼があった。それをみて、日本の東京と京都を、モスクワとサンクトペテルブルクのようにしようという話になった。結局、御大典をやる為の御所という位置づけで決着したわけですね。
今でも御所に空地が多いのは、御大典の際に儀仗兵を並べるために残した名残なのですね。
- 村山祥栄
- 随分と東京は反対したでしょうね。
- 八幡和郎
- 特に御陵は東京に造営することが決まっていたから。東京市民が反対したのですが東京には慰留のために明治神宮を作って納得させた。ところが、いま、明治神宮には色々な人がお参りに行くけど、戦前は伊勢や橿原とともに日本三大聖地の一つと言われた本家の桃山御陵はほとんど誰も行かない。本末転倒です。
- 村山祥栄
- しかし、平成の御大典は東京だった。
- 八幡和郎
- それは戦後の皇室典範で、京都で御大典をやるという条項を外してしまったからです。もちろん、京都でやる選択もあったが、現実には準備していなかったので無理でした。
- 村山祥栄
- 再び御大典を京都でやりたいものです。
さて、ずっと熱心に取り組んでおられる宮廷文化についてお尋ねします。宮廷文化とはどういうものですか。
- 八幡和郎
- 『千年の都』というけど、「千年」の文化ってなんでしょうか。京都の街中でいえば、千本釈迦堂以外、応仁の乱以前の建物ってない。
平安神宮は国風文化以前の中国風の建築です。そのあと王朝文化のじだいになるのですが、市内には、禅宗文化(室町時代)の建物までなにもなくて、実は時代がすっぽり抜け落ちている。
- 村山祥栄
- 言われてみるとそうですね。
- 八幡和郎
- 最近の京都の建物ってくすんだカラーの建物ばかりだけど、これは禅宗文化以降の考え方で、平安時代の文化は無視されてしまっているわけです。平安時代からの王朝文化、宮廷文化って、もっとはんなりして季節感もあるカラフルなものです。だから、千年の都なのに黒い京都っておかしいわけ。商業ベースで見ても、禅宗文化のものより、王朝文化のもののほうが華やかで売りやすいでしょう。だから、宮廷文化の復活が必要なんです。
- 村山祥栄
- 宮廷文化の復活は京都に新しい経済波及効果をもたらすと?
- 八幡和郎
- 日本のイメージとしても、武士の文化はそれはそれで魅力はあるが、腹切り、カミカゼといった側面もあって国際的にもいいことばかりでないんです。それに、京都観光でも伝統工芸でも宮廷文化は放置されてきた、まさにフロンティアです。京都御所はこんど通年公開される方向だけれども、いまのままでは、やや魅力に欠けます。
明治時代までは宮廷文化が日本文化の本流だったのに、明治に入って傍流にされてしまった。だから、宮廷文化を下支えしていた伝統産業も衰退していった。いろんなことが可能だともいますが、桂離宮のレプリカを作ったりするのも面白いし、即位礼の再誘致とかその準備のために昭和の御大典を部分的に再現をしたりすれば、伝統産業活性化のきっかけにもあります。
- 村山祥栄
- 確かに伝統産業というのは、都ゆえに発展してきたものですからね。
それともうひとつ、京都には千年の都と言いながら、千年前、平安時代の建築物がない?
- 八幡和郎
- そうです。そこで、源氏物語に登場する光源氏の家、六条院を再建してはどうかという提案もあります。この六条院は架空の建築物ですが、これについては源氏物語の記述をはじめ、絵巻をはじめとして建築に関する資料が沢山残っている。だから、平安時代の建築物で、再建することができる唯一の建物ではないかと思っています。
- 村山祥栄
- なるほど。どこに作るのですか?場所がありますか?先生の持論である京都御所博物館建設などとも関連づけられるんでしょうか。
- 八幡和郎
- 本来の場所に再建するなら、現在でいうと五条河原町の交差点から枳殻邸付近にあたりますから、六条小学校跡地や枳殻邸の中などが考えられます。しかし、京都御苑がいちばんいいかもしれません。京都御所博物館というのは、いま御所を見学にいっても、解説をきちんとする場所すらないのが現状です。だから、ミシュランの観光ガイドでも、新宿御苑は三つ星なのに、京都御所は一つ星という低い評価です。、そういう意味で、御苑に博物館のようなものがあってよいし、その一環で六条院の再現をしてみてもいいのでないでしょいうか。それ以外にも、神社仏閣の境内でもそういうことに相応しい土地はたくさんあるのではないでしょうし、そういえる土地を京都市あたりは常にピックアップしておく必要があるよね。
- 村山祥栄
- 京都御所博物館というのは、いいですね。
- 八幡和郎
- 平安時代や御所にまつわる解説をするだけでなく、皇室の宝物がたくさんあるのに、展示もされない。以前、堺屋太一さんに話したら、それはいいと賛成していた。
- 村山祥栄
- なるほど。東京には皇室ゆかりの品が見られる唯一の展示施設、三の丸尚蔵館がある。しかも、過日、増築計画が発表されたばかりです。
- 八幡和郎
- 三階建てくらいの高さにして、御所の内部を望めるようににしてもいいですよね。
韓国の景福宮に行くと、毎日、衛兵交代の儀式を再現してパレードしている。こんなのも京都御所でやってもいい。ついでに、修学院博物館、桂離宮博物館なんかも作ればいいと思う。
- 村山祥栄
- 予算はどうやって捻出しますか?
- 八幡和郎
- 宮内庁でも話によっては三の丸尚蔵館と同じ性格ですから可能だと思います。しかし、たとえば、桂離宮の横に一部内部が再現されていたり、解説があったり、一望できる施設といったものなら採算にものるのではないでしょうか。
- 村山祥栄
- なるほど。
- 八幡和郎
- それから、迎賓館の使用度が低いのは、付き人が泊まれるようなホテルが近くにないからという指摘も関係者からあるのです。梨木神社の空地にマンションなんて作らずに、迎賓館をより機能させるホテルでも作ればよかったのにとか思います。国際会議場も、プリンスホテルが出来て稼働率が上がった。
- 村山祥栄
- 今、烏丸通り沿いに老朽化したホテルがあるから、あれを建て替えするときにそういう使い方ができるのではないですかね。
- 八幡和郎
- そうですね。あとは、明治天皇は京都御苑の中の中山邸(生母の実家)でお生まれになったわけでしょ。だからその明治天皇の産湯を使ったお茶会をできるようにするとか、ここでは付加価値のつけ方は色々出来ます。
- 村山祥栄
- すごい一大観光施設ができますね。さて、京都御苑といえば、我々京都党がずっと主張している「皇族に京都にお住まいいただく」という話はどうでしょうか。
- 八幡和郎
- 皇太子殿下に住んでいただくとか言うと無理がある。ただ、皇族の方に、1年交代ぐらいで京都にお住まいいただいたらどうでしょうか。イギリスに留学されてヨーロッパの宮廷文化を学ばれるのもいいけれども、伝統的な日本の宮廷文化を学んでいただくのは、意義のあることだと思います。あわせ、御陵など御先祖のお墓参りもいろいろしていただく。世界の賓客が京都に来ると御対応下さる。寺社などでの行事にも臨席頂きたいものです。いま三笠宮彬子さまがたまたま京都にお住まいですが、そういうのを制度化できるといいですね。
- 村山祥栄
- それに、皇族の京都移転は、関東での天変地異などに備えた危機管理の側面もありますからね。あとは、そのためにお住まいいただく施設も必要ですね。
- 八幡和郎
- だから、老朽化が進んでいる大宮御所については、とりあえずの耐震工事をしましたが、いずれは、全面改修すべきではないでしょうか。それは陛下などのお泊りと常駐される皇族の為と兼ねて進めてもいいように思います。そういうのは、京都からもっと声を上げれば宮内庁だって歓迎だと私は推察します。
- 村山祥栄
- なるほど。一本では弱いから二本立てで提案すると。私もこの問題は代表質問でも取り上げましたが、こういう問題を取り上げるとすぐに、不敬だとか政治利用するなとか言われてしまう。
- 八幡和郎
- よく、皇室を利用してはいけないといいますが、明治時代に、京都で即位礼などを執り行うことにするとき、京都の繁栄に役立てるという目的をはっきり示していたのです。それが明治天皇の叡慮だったのですから、もちろん節度をもってではありますが、そういう叡慮を活かしていかないことこそ、明治天皇の配慮にはんするのではないでしょうか。そういうのは村山さんも、どんどん発信してもらいたいですよね。最終目標は、京都での即位礼、御大典を復活させて、京都は首都機能の一部を東京都分担しているという位置づけを取り戻すべきだと思います。 大阪は副都構想とかいっているけれども、東京の人は京都ならと思っています。文化庁だって大阪では移転に賛同は得られなかったのではないでしょうか。京都は首都機能の一部を分担するし、大阪は東西を分割した場合の西日本の中心としての機能を充実させるというと東京の人も納得すると思うのです。東西分割できる機能はかなりありますから。
- 村山祥栄
- そうですね。色々な施設が出来て、皇族が交代で京都にお住まいになる。皇室を中心に栄えた京都の原点に戻る。そういうことですよね。本日は本当にありがとうございました。