下鴨神社 祭儀課長 禰宜 清水洋直(よしなお)さんに聞く
トップインタビュー
検証「京都で即位礼の実施は可能なのか?」
- 村山祥栄
- こんにちは。いつもお世話になっています。
- 清水洋直
- こちらこそお世話になっています。ご活躍何よりです。
- 村山祥栄
- 早速ですが、清水さんは元々、陛下のおそばで皇室の神事を司る掌典職に従事されていたのですよね。
- 清水洋直
- 20歳の頃から約4年間お勤めさせて頂きました。
- 村山祥栄
- そもそも、皇室を取り巻く職員と言うのはどういう方がいらっしゃるのですか。
- 清水洋直
- 皇居では表と奥という言い方をしますが、表は宮内庁庁舎があり、宮内庁職員が従事し、このトップが宮内庁長官です。奥は御所を指し、ここには侍従(秘書、お世話係)がおり、このトップが侍従長です。神事をやる職員は奥になります。掌典職にも公務員である掌典補というのと神職である掌典職があるわけですが、私は後者でした。公務員ではなく、陛下のお手元金で賄われているわけです。
- 村山祥栄
- なるほど。では、宮中祭祀である新嘗祭(いわゆる収穫祭)などをサポートされていたのですね。
- 清水洋直
- その通りです。
- 村山祥栄
- さて、陛下の譲位に際して、即位礼と大嘗祭という大きな儀式があります。このあたりの儀式について伺いたいのですが。
- 清水洋直
- まず、即位礼ですが、これはお披露目の儀式というものでしょう。即位礼は、賢所大前の儀などくつかの儀式から構成されていますが、紫宸殿の儀(正殿の儀)というのが、いわゆる即位礼と呼ばれています。即位礼自体は30分程度のもので、陛下がお言葉を述べられ、寿詞(よごと)というお祝いを総理が読み上げるというようなものです。昭和の即位礼までは、新たな陛下が高御座(玉座)の裏をお通りになられ、高御座の裏の階段(陛下だけが上れる階段)からお上がりになり、その時初めてご尊顔を拝すという形式を取られていました。ただ、平成の即位礼からは、皆さんの前を通り、高御座に御座されるというスタイルに変わりました。ちなみに、高御座には三方から上がれるようになっていましたが、皇居にある松の間は狭かったため、平成になって両側の階段を外しており、今も外れたままになっています。儀式の行い方はその都度検討されており、明治の即位礼では、水戸藩から献上された地球儀に足をお掛けになるという儀式も予定されていたといいます。結局、雨で実現しなかったようですが。
- 村山祥栄
- 頻繁に行い方が変わるのですね。
- 清水洋直
- 先に申し上げておきますが、これらの儀式は即位に不可欠な大典ですが、行い方については不偏ではありません。時代とともに大きく変化します。
そもそも、江戸時代までは、装束も北斗七星や龍があしらわれたようなものを使い、装飾品も中国風でした。なので、お香を焚いて即位を天に告げていました。しかし、明治になって日本風に変わります。お香を焚いていたのが、明治の即位礼では御幣(ごへい・神社でみかける紙を折って作った紙垂れ)を奉って神に報告、大正からご自身の口でご報告されるという風に変わりました。昭和までは京都御所の紫宸殿で、平成は皇居にある正殿、松の間で行われました。普段国事行為をなさるところです。ここは昭和の時代にに即位礼を行うことを想定して作ったといわれており、御所より広いですね。
- 村山祥栄
- なるほど。その即位礼の後に、大嘗祭がありますね。こちらはどうですか。
- 清水洋直
- こちらは少し大変で、まず大嘗宮という大掛かりな神殿を作らねばなりません。昭和3年には仙洞御所内に造営しました。木の皮をめくらない黒木を使用し黒木造りで造営します。ちなみに嵐山の野々宮神社の鳥居は黒木造りです。重要なのは儀式をする主基殿(すきでん)と悠紀殿(ゆうきでん)で、この神殿で長時間に渡り、日をまたいで行います。江戸時代までは予算がなかったので、この二つの神殿だけで挙行しておりましたが、それ以降の大嘗祭は、これ以外に多くの神殿を建てて挙行しています。そのほとんどは参列者のための施設です。
- 村山祥栄
- 以前に使ったお社は残っていないのですか?
- 清水洋直
- この大嘗宮は大嘗祭をするための一度きりの神殿ですから、大嘗祭が終わると解体されます。したがって、これから一から造営する必要があります。
- 村山祥栄
- その大掛かりな大嘗宮はどちらに造営されたのですか?
- 清水洋直
- 江戸時代は紫宸殿の前で、昭和のときは仙洞御所の中に、平成は皇居の中です。ちなみに明治時代は即位礼を京都、大嘗祭は東京で行われています。この明治時代からこれらの大礼は国家事業に変わったので、盛大に行われています。但し、再び時代が変わってきており、高松宮様は「もう大嘗宮を作って盛大に行う大嘗祭は現実的ではない。新嘗祭が行われている通常の神殿を使って行うのが現実的」だとも仰っていらしたそうです。
- 村山祥栄
- もし、京都で実施するとすれば、江戸時代のように紫宸殿の前に二つの神殿だけで挙行するなら十分可能ですね。前の大嘗祭と同じように仙洞御所に造営するなら仙洞さんの木を切らねば難しいですね。
- 清水洋直
- 京都で即位の礼をするにはもうひとつ大きな課題があります。
- 村山祥栄
- なんですか?
- 清水洋直
- 大嘗祭は大嘗宮をクリアすれば問題ありませんが、即位礼をするには賢所(かしこどころ・いわるゆご神体)を京都にお移しせねばなりません。昭和の即位礼では、八瀬童子の手で賢所を担いで、電車に乗せ京都へお移しになりました。車両も神様専用の電車を作り、名古屋に神様の仮のお社作って一泊させて、京都に入りました。これはなかなか大変です。
- 村山祥栄
- 京都にお越しになった賢所、つまりご神体はどちらに鎮座されるのですか?
- 清水洋直
-
かつて京都御所にあった神様がお入りになる賢所(※この場合建物を指す)は明治時代、橿原神宮の本殿としてお譲りになりました。そして、京都御所には賢所がなくったため大正時代に、春興殿(しゅんこうでん)を造営し、これが賢所の代わりとなりましたので、ここにお入りになるのです。ただ、この春興殿の周りは参列者用の場所の確保が容易ではありません。
このあたりが二つ目の課題です。
- 村山祥栄
- 京都御所の場合、スペースが限られていると。
- 清水洋直
- 昭和の即位礼は参列者は立ちっぱなしでした。ただ、昭和のときはほとんど国家元首級の来賓がお越しにならず、大使などの代理がお越しでしたので問題ありませんでした。平成の即位礼は、沢山の来賓をお招きし、国内各界の代表や国会議員、地方の代表なども大挙して出席されました。そうなると立ち見というわけにもいかず、椅子などを設置するスペースが要りました。各国の元首級はともかく、本当にこれほどの来賓が必要なのかということは考え方次第です。
- 村山祥栄
- なるほど。ではここで、京都で即位礼、大嘗祭を行うと想定して整理します。
即位礼の場合、来賓の数、スペース、それに伴う宿泊施設等といった来賓の課題、もうひとつは賢所といわれるご神体をお運びするのが大変だという課題ですね。
大嘗祭の場合、仙洞御所の木を切るというのは現実的でないので、実施するならば、1000年以上続いた明治以前の古式で行う必要があるということですね。こちらは、陛下の仰る経済的負担を余りかけない退位という点でも理に適っていますね。
- 清水洋直
-
そういうことですね。いずれにせよ、ご大典は大変な一大事業です。大嘗宮だけでなく、調度品(太鼓、鉾、のぼりなど)、装束などももすべて一から作らねばなりません。
装束に使う麻は専用の麻ですから、植えるところからしなければなりません。だから、準備に時間が掛かるのです。こうした品を作る技術の継承も途切れつつあり、例えば神様の着物を入れる竹籠はすでに作れないのではといわれています。
- 村山祥栄
- なるほど。そういうことなのですね。改めて、大変だということがよくわかりました。結論、京都で実施する場合は、行い方次第という結びでよろしいでしょうか。
- 清水洋直
- そういう事になりますね。
- 村山祥栄
- 本日はお忙しいところ、誠に有り難うございました。
(平成29年6月18日 下鴨神社社務所にて)