京都は天皇家とともに繁栄してきました。
京都は日本のふるさとであり、皇室のふるさとです。
京都の町衆は、明治二年に行われた陛下の行幸からのお帰りを、首を長くして待ち望んでいると言われています。
ドナルド・キーン氏によると、明治天皇も在任中、京都へお戻りになりたいという意向をお持ちで、その延長線上で、東京での造営が決まっていた明治天皇陵(桃山御陵)も京都へと変更されました。
昭和天皇におかれても、東久邇宮内閣で近衛文麿副総理が昭和天皇のご退位は避けられないと思われ、仁和寺を具体的なお住いとして検討されたという経緯もあります。このように、ご退位が検討されるたびに、京都はご退位後のお住まいの候補地でした。
通常、上皇のお住いを「仙洞御所」と呼びますが、既に仙洞御所は京都御苑にあります。陛下の玉座である高御座(たかみくら)も京都に残したままです。
そもそも、今日まで京都御所はいつでも活用出来る様に維持されてきました。
既に京都市でも、皇室の方に京都にお住い頂きたいという思いを包括して「双京構想」(ふたつの都で日本を引っ張る)という考えを示しています。
百四十有余年の時を経て、京都は再び皇室との縁(えにし)が結ばれる。
我々京都市民はそれを歓迎しようではありませんか。
その思いを形にし、その願いを国へ届けましょう。
ご協力宜しくお願いいたします。
地域政党京都党代表
村山 祥栄
京都は今重要な局面を迎えています。上皇のお住まいといいますが、そもそも御所の中には仙洞御所がありますけど、「仙洞さん」と言うのは、「上皇」という意味です。
両陛下は東京生まれで、陛下が東京か京都か、どちらをお望みかはわかりません。
でも、京都がありますねん!という時は今しかないと思います。
後から何を言っても、タイミングを外しては何の意味もありません。今こそ全ての始まりは御所だということを示すべきです。お住まいが難しくても静養を京都でして頂くのもひとつです。
そもそも、葉山の御用邸も新しい天皇に引き継がれるわけですから、上皇の御用邸があってもいいと思います。いずれにしても、声を挙げるのは今しかありません。
対談:『冷泉家時雨亭文庫常務理事 冷泉貴実子 X 村山祥栄』のページへ
このたび、陛下のご譲位にあたり、京都へお戻りいただこうという声が市民の皆様から挙がってくるということは大変に喜ばしいことと存じます。
かつて建都1200年でリーダー的役割を果たされた塚本幸一(13代商工会議所会頭)さんも、常々陛下を京都へお迎えしたいと熱心に活動されていたことが思い出されます。
私は陛下とも縁戚にあたり、文部科学副大臣もしておりました関係で、陛下に接見する機会は多かった方ですが、陛下はこれまでもただひたすら国民の安寧を祈り続けてこられました。手を抜いて執務をするということが出来ないお方です。本当は散策をなさったり、ご旅行へ出られたり公務でなく私人としておやりになりたいこともおありかと存じます。そういったこともこれからはやって頂けるのではないかと存じます。そういう意味でも、譲位された後はゆっくりと京都でお過ごしいただく方が東京にいるより自由にお動きになられますし、陛下もお喜びになられるのではないかと存じます。
前回の即位礼は時間もありませんでしたが、今回は即位礼まで時間もあるのですから、十分準備することができます。伝統と文化を重んじることが大切です。わが池坊もこの都・京都の街で歴史を紡いで参りました。京都にはそういった文化がしっかり根付いています。だからこそ、皇室のお住いに京都がふさわしいのです。
京都の人は「天皇さんいつ帰ってきゃはるんやろ」とかいいます。明治二年のいわゆる東京遷都は、正式の宣言のないままになしくずしで行われたので、天皇陛下が東京におられるのは仮のお姿で、いつかは、戻ってこられるはずという意味です。
しかし、その一方、東京の人からは、「京都の人は本当は御所に皇室が戻ってきたら面倒くさいだけではないか」という声もあります。
実際、京都の側から積極的に皇室に京都に戻ってきて欲しい、あるいは、こうした行事を京都でして欲しいという強い声は聞こえてきません。「双京構想」ももしよかったら、というような遠慮がちなスタンスが目立ちます。
どうしてそうなのかといえば、「京都からぜひにというのは恐れ多い。もし、戻ってこられるなら歓迎しますが」という人も多いからです。
しかし、これは、明治以来の歴史を考えるとおかしなことです。明治のなかごろに、この問題は、とりあえず、即位礼などは京都でして、そのために京都御所は保存するとういうことになったわけですし、実際、大正と昭和の御大典は京都で行われ、その記念に、府立植物園や市立美術館もできました。
本来は、代替わりのたびに、京都で大きなイベントが行われ、そのためのインフラ整備や伝統工芸などの活用がされるはずだったのです。
ところが、平成の御大典のときは、すぐに準備などできず、東京でされてしまいました。京都は祝典首都としての性格をこのときに失ったのであって、明治のときに何もなくなったのでないのです。
また、京都御所を残すとか、祝典をするとかいうのは、当時、岩倉具視が行った提言でも経済振興とか国際都市としての京都の発展とかいうことが上げられており、経済のことなんぞいうのは筋違いだという考え方があるとすれば、それは、明治天皇の叡慮にかえってそむくものなのです。京都が千年の都としての栄光を維持するためにおおいに皇室を利用してくれというのが本来の趣旨なのです。
そして、東京では、御退位後の陛下のお住まいとして京都を充てるという議論もけっこう真剣に論じられています。
このほど、京都党でこのような提言を行われたのを機に、21世紀に京都が帝都としての性格を取り戻す契機になればと期待しています。
陛下は京都に戻るべきだと私は思います。そもそも、時代の変遷はあれ、天皇陛下は日本の歴史そのものの象徴です。象徴である限りは、政治権力の中枢にいる必要はありませんでした。だから朝廷は京都、幕府は鎌倉や江戸と離れた場所にあったのです。それが、明治時代になって天皇陛下は象徴から統治者にお変わりになりました。そこで、政治の中枢、要は政府のあるところにお移り頂く必要がありました。しかし、戦後再び象徴にお戻りなったわけですから、どうしても東京にいらっしゃる必要はありません。上皇ならなおさらそうだと言えます。むしろ、政治と距離を置いて、神事や文化活動、社会貢献活動など皇室が積極的にお取組みになってこられたことを中心に日本の歴史をこれまで通り紡いで頂きたいと思います。