対談:『元三重県知事 北川正恭 X 村山祥栄』 (京都党 活動報告)

トップページ > 活動報告 > 対談 > 対談:『元三重県知事 北川正恭 X 村山祥栄』

対談:『元三重県知事 北川正恭 X 村山祥栄』

対談:『元三重県知事 北川正恭 X 村山祥栄』

対談:『元三重県知事 北川正恭 X 村山祥栄』

村山祥栄
過日は京都党政治塾の講師お勤め頂きありがとうございました。京都党ならびに地域政党サミット(注:京都党が中心となって結成した全国の地域政党連絡協議会)の顧問もお引受け頂いており、折に触れご指導頂き感謝しています。
北川正恭
早稲田大学の教授の任もマニフェスト研究所所長も顧問になって、少し縛りがなくなったので、自由に言いたいことを言い、やりたいことをやっていますからね。地域政党にも頑張ってもらわないといけないからね。
村山祥栄
ありがとうございます。さて、北川顧問は県会議員、衆院議員、知事、大学教授、そして心血を注いでやってこられた全国マニフェスト選挙の運動、併せて後進の指導と、考えられる全てのポジション、立場を経験してこられたので、それぞれの気持ちも行動原理も誰よりも理解されている希少な存在ですね。
北川正恭
経験だけは沢山させて頂きました。時代は変わり、社会は変化をし続けていますが、私はその時代その時代に求められてきた『時代使命』があると思います。その果たすべき時代使命が何かということを的確にとらえて実行することが大切です。
村山祥栄
『時代使命』ですか。
北川正恭
一つの変化として、あと10数年で49%の仕事がなくなると言われていますね。AI(※人工知能)が人間の力を越えてしまう時代がやってきた。今、まさに過渡期です。戦後、吉田、岸内閣時代の政治家の使命は「お腹いっぱいのご飯を国民に」ということだった。それを実現するために、要はそのためのお金を産むために、大金食いの軍隊をなくした。経済優先、軍事は放棄で経済成長をひた走った。それを補う為に日米安保条約をやってのけた。重経済軽軍備でした。これまでとは180度違う大きな方向転換をした。目的のための価値の転換。これは革命的な変化でした。
村山祥栄
吉田首相というのは、そういう意味で日本の置かれている状況を的確にとらえ、最善を尽くした、まさにそういった時代使命を帯びた改革派首相だったのですね。
北川正恭
その後、池田内閣はその路線を引継いで、「所得倍増」をやってのけた。事実前提の経営、つまり先人の経営をリフォームし、発展させるという時代使命を担った。集団就職、金の卵、まさにああ上野駅の時代です。1ドル360円、生産年齢人口の増加、機械化という背景にひた走ったわけですね。金の卵っていうのは、15歳の労働力を低賃金で使えて良いねって話ですから、今で言えばブラックな発想ですよね。こういうことも時代とともに変わる。
村山祥栄
戦後を日本の第二創業とするならば、吉田内閣は創業者、池田内閣は先代から引き継いだ二代目ですね。これが、高度経済成長をけん引し、田中内閣から中曽根、竹下内閣といったバブルへとつながるわけですね。北川先生が国会へ行かれたのもその時代ですね。
北川正恭
そうです。政治改革運動、政治資金規正法ができた時代です。バブルに乗じて金権腐敗、ノーパンしゃぶしゃぶの中央官僚、だめじゃないかということで中央集権から地方分権へシフトしました。1995年地方分権一括法を作って、法律的に分権国家に変わったわけです。
村山祥栄
時代使命でいえば、国家構造を変える吉田内閣、それに乗っての池田内閣、そして今、地方分権を、北川顧問をはじめ95年以降多くの政治家が担ったわけですね。
北川正恭
しかし、現実には形式要件だけ変わって、実態はまだ中央集権のままです。だから、20年経っても未だに「中央から地方に権限分けて下さい。」と頭を下げている地方がいるわけです。地方が主体性を持って地方がやらなきゃいつまでたっても地方分権ができない。 だから、地方が力をつけて、モノ言える地方を作っていき、形式ではなく実態において分権国家にしなきゃいけない。その起爆剤としての地域政党を期待しています。
村山祥栄
仰る通りです。さて、地方自治といえば、東京は大きな変革の波が押し寄せていますね。
北川正恭
大年増の小池と罵って、支援したら一族郎党処分など言っていた自民党も身動きが取れない位に状況は一変しましたね。ポイントはやはり情報公開です。情報公開が進んでいないから都民は何も知らされていない。豊洲の問題では盛土していないのに盛土したという。
村山祥栄
しかし、豊洲の話は酷かったですね。京都市でも同じことが起きています。京都市中央市場の底地の一部は大阪ガスのガスタンクがあった場所で、掘ると土壌汚染が出てくる可能性が極めて高い。しかし、調査することを拒否するのです。調査したら具合の悪いものが出てきちゃうから。
北川正恭
官僚はやってきたことを守るという習慣がある。これは今に始まったことではないですし、東京だけの話でもない。大宝律令以来、そういう官僚に支配されてきた。水戸黄門も遠山の金さんもそうです。官が民の悪人を取り締まる。官が偉いという考えが根底にある。だから、間違いをなかなか認めないし、変化を実に嫌う。
村山祥栄
言われてみれば、その通りですね。それは最近実感します。公務員というのは作られた法を法に従って執行する能力に長けているが、それを弾力的に運用したり変えたりするのは苦手ですね。
北川正恭
私が三重県知事になったとき、裏金問題が表に出てきた。官官接待するための金を裏金作ってプールしてきました。就任してすぐ、調査したら11億円からありました。すぐにやめるよう指示しましたが、官官接待はやめられないというのです。
村山祥栄
知事がやめろと言ってもやめないわけですか。なぜ?
北川正恭
彼らの言い分はこうです。一例ですが、三重県は老人施設への国からの補助金が5年間滞っていた。結果、老人施設に入りたくて待っているご老人がいっぱいいるわけです。だから、なんとかして作ってあげなきゃいけない。そこで裏金作って、厚労省を接待して無事に一億円の補助金が下りました。10万円の接待で1億円貰えれば、9990万儲かったことになるでしょ。と、こういうわけです。
村山祥栄
確かに一理あるといえば一理ありますね。しかし、税ですから、方法がありますよね。
北川正恭
一理も二理もないわけです。公金背任横領という仕組みですから。これを変えるのに3ヶ月大喧嘩しました。最後はわかってくれて、裏金づくりを三重県は辞めたわけです。 役所はいいとこもいっぱいあるけど、悪いとこもいっぱいある。過去との断絶を誰がやるかということが重要です。それは、議会しかないと思います。
村山祥栄
そうですね。自戒を込めて言いますが、議会がもっとしっかりしないといけない。しかし、二元代表制がなかなか市民の方に理解されない側面があります。「村山君、もう少し市長と仲良くやりなさい」と仰る方もいらっしゃいます。
北川正恭
そもそも、東京でいえば、東京都庁は都民の代表機関じゃない。都議会が都民の代表機関です。そのあたりが正しく理解されていない。二元代表というのは、知事と都議会が対等でなきゃならないわけです。議員がそれを理解できていない。だから、知事と一緒に写真を撮ったポスターを、嬉しそうに町中に張ってしまうのです。そういう議員はいらないわけです。議員は知事の子分などではありません。対等な関係で、知事や市長をびしびしやる、こういう関係であるということも広く知ら示さねばなりませんね。議会が、知事や市長の言いなりになったら誰が正すのかといいたい。しかし、残念ながら、「うちの先生は知事と昵懇だから」と応援してしまう人が多い。だから言いたいわけです。「その時点でその方は取り込まれていますよ」と。
村山祥栄
その通りです。そもそも、対等関係の二元の代表制度に与党とか野党という概念があることがおかしいのです。だから、我々は「脱・与野党宣言」というのを表明して、我々は与党でも野党でもないと宣言しました。その上で、市長に「答弁で与党が、与党がと仰るが、与党とは何だ?」と質問しましたが、「選挙で応援してもらった人が与党だ。何が悪い」と仰っていました。
北川正恭
選挙を応援してもらった人たちは理解者かもしれないが、与党として取り込まれたらもはや議会は機能不全です。だから、議会不要論が出てきちゃうのです。
村山祥栄
そうですね。小さくても尖って頑張ります。
北川正恭
日本の国は、大阪で維新、東京は小池さん、既存の仕組みじゃだめと大都市から動き出している。でも東京からは変えられない。構造が違いますから。だから、ここで京都の役割は大きい。官の誤りはしっかり地域政党がやる。京都党は小さいが、全国をリードしてよく頑張っています。これが、4名が10名になったら絶対変わる。そして、行政にゆらぎを与えるようにやってほしい。それが全国に派生する。それまで頑張ることです。
村山祥栄
そうですね。マニフェスト選挙というのを日本に定着させたのは北川先生の大きな功績ですが、これだけ定着するのに十数年掛かっておられますものね。最後に、何かアドバイスがあればありがたいのですが。
北川正恭
「こんなもんだと思わないこと」です。人間はすぐに馴染んで「こんなもんだ」と思ってしまいます。これが、政治を悪くします。こんなもんだと思わず、何としてもやるという気迫を持って、やってください。東京一極集中を認めたら、地方は無くなる。だから、地方は絶対に諦めちゃいけない。京都という街の与える影響を軽々しく考えず、京都だからこそ発信できるという力と責任を自覚してやってください。
村山祥栄
「東京一極を認めたら地方は終わる」これには、ずっしりきました。本日はお忙しいところ、ありがとうございました。