沖縄は日本最古の地域政党「沖縄社会大衆党」を生んだ、地域政党の原点ともいえる土地。なぜ、地域政党が育ったのか。基地問題で揺れる沖縄にそのヒントはあった。
本日は、スコットランド国民党などの地域政党を御研究されている日本で数少ない人物、島袋純琉球大学教授にお話を伺った。
戦後、沖縄は国政参加の権利を剥奪され、まったく日本本土との交流が途絶えましたので、沖縄の政治は本土とは無関係に地域政党を基軸に動いてきました。1946年、アメリカ軍を解放軍とし、沖縄を独立させることを党是に、戦前の元共産党の瀬長亀次郎やのちに社大党結成メンバーとなる兼次佐一らが中心となって沖縄人民党が結成されました。また、翌47年には、元大政翼賛会の仲宗根元和ら保守系を中心に沖縄民主同盟を結成しています。
当時、米占領下にあった沖縄が再び日本に戻れる可能性は低く、そういう意味で、日本の国政政党が関与する余地がありませんでした。そんななか、沖縄独立を目指した独自の政党が46年47年と誕生し、沖縄では、国政政党が不在のまま、政党=地域政党として発展していくこととなったのです。
一方で、日本国憲法の入手は、非合法でしたがそれを見て、これはいい憲法が出来た、日本は生まれ変わったと、日本復帰を目指す動きが出てきました。これが、兼次佐一らは、沖縄人民党を離れ復帰を目指す多くの勢力と合同で、沖縄社会大衆党(社大党)を結成するわけです。反米親日、日本復帰を目指す流れであり、沖縄の政治は、この社大党が大きな役割を果たしてきました。日本とのパイプを重視し、経済界を背景にした沖縄の自民党も、この社大党から一部が離れて生まれたと言っても過言ではありません。
さらに、日本では戦後、労働組合が次々誕生、その流れを受けて労働組合を背景にした日本社会党が最大野党としてできますが、沖縄で60年前後になると、ようやく労働組合の結成が認められ、その影響を受けて社大党の左派が分離し、沖縄社会党が誕生します。独自の革新勢力として成長した沖縄人民党は、次第に日本共産党との関係を深めていきます。しかし、やはり大半の政治勢力の出発点は地域政党だったわけです。
自民党が経済界を、社会党が労働組合を背景にする中、非経済団体・非労組を貫く社大党は、社民党と共産党とを橋渡しするブリッジ政党として位置取り、双方からの支援を受け、首長選挙などでは革新勢力の中心的役割を果たしていました。しかし、かつては7~8名の県議を擁し、県議会の野党の中核だった社大党ですが、年々勢力を低下させ、現在は県議2,3名の細々とした組織となっています。
では他はどうかというと、やはり利益誘導型の自民党が強い。特に自民党は事大主義的で、占領時代は権力が米軍にあったので復帰反対、親米だったわけですが、本土復帰すると権力は日本政府に移るわけで、そうなると本土べったりと、何かしらの主義主張というより、長いものに巻かれろ、というわけです。それが故に強いとも言えます。また、沖縄独自の宗教観の隙間にうまく入り込んだ創価学会の勢力助長に伴い成長してきた公明党、熱心な党員組織を軸にした共産党。中央政党の流動化が進み、読めない部分も多いのですが、社大党自身の存在感が薄れているのは事実です。さらに、ここに来て翁長知事を取り巻く無所属系勢力が手を組み、新しい地域政党が誕生する可能性も出てきています。
いずれにせよ、戦争直後は、独立を掲げて誕生した地域政党が、独立の旗を降ろしあるいは消滅しました。その後生まれた独立主義政党は、軒並み支持を得られず苦境に立っています。ただ、沖縄の多数は琉球王国の継承者であり先住民ということができ、現在でも琉球独立を願う人たちが一定いることから、党として、独立主義や琉球民族主義などへ、再び生まれ変わる可能性は無きにしも非ずだと言えるでしょう。
地域政党を引っ張るのは、民族的アイデンティティと住民の利益です。このふたつが相まって初めて成功するといえるでしょう。沖縄における民族的アイデンティティはこれまでの話のとおりですが、大切なのは、住民の経済的利益が得られるかどうかです。
スコットランド国民党はスコットランドの独立運動を掲げて結党した政党ですが、独立には経済的裏付けが必要です。かの地で最初に独立の機運が高まったのは、北海油田が発見されたからでした。北海油田が登場し、一時は国会で1議席から11議席まで一気に勢力を伸ばすのですが、油田を掘るには膨大なコストが掛かり、採算が合わないことが判明して独立の機運は一気に失速。しかし、その後のオイルショックでやっぱり採算が合うということになり、再び息を吹き返すわけです。このように、地域政党とは独立主義でありながら、その経済的根拠をも持たねばならないのです。
もともと沖縄は基地経済だと言われています。国からの財政移転、補助金等の経済的バックアップによって成り立ってきた、と。しかし、ここに来て、そうではないということが分かってきました。補助金漬けでやってきた沖縄経済ですが、失業率は減らないし、賃金も上がらない。結局のところ、補助金という『掴(つか)み金』では何もよくならないということに県民が気づきだしたのです。
基地問題はその危険性ゆえに反対しているとよく言われますが、それだけではありません。基地を持ち続ける経済的リスクが高すぎるのです。9・11という、遠くニューヨークで起きた事件ですら、沖縄の観光客は半減しました。もし尖閣で有事があれば、沖縄経済は壊滅的打撃を受けるでしょう。基地を抱えることによるリスクは計り知れません。
それより、基地依存を止め、自立経済を育てた方がはるかにいいという考えがあります。例えば、かりゆしホテルグループのオーナーは、辺野古の既存基地の跡地をホテルに借り上げさせてくれれば、2000人の雇用を産んでみせると豪語します。補助金に頼らず自立を目指す経済人グループ(金秀グループ、沖縄ハムなど)が翁長知事支援に回ったのも、要因はそこにあります。基地の経済的波及効果はほとんどありません。基地を捨てた方が豊かになれるのです。
基地反対の統一戦線の作りやすさは元より、基地問題の抜本的解決こそが、独立主義とその経済的根拠を兼ね備えた、まさに地域政党の主義主張の柱になりうる可能性を持つと言えるでしょう。
イギリスのウェールズ地方には、ウェールズ党(プライ・カムリ)という地域政党があります。イギリスは準連邦国家であり、一国多制度を持つ国ですが、その中で、スコットランド政府は法律を作る立法権があり、用途指定がまったくない一括交付金を国から受け取る権限があります。しかし、ウェールズ政府は条例制定権しか持ちません。そこでウェールズ党は、ウェールズ政府の自治権拡大を掲げ活動しています。
ウェールズは農林水産業中心で一次産業を主とする地方のため、経済的基盤が脆弱です。ウェールズ党は民族主義による支持拡大を目指し、議会でも英語を話さずにウェールズ語のみで議論し、ウェールズ語を公用語としてさらに発展させるべきと主張しています。また、他の地域政党とは違い分離独立を掲げず、目下ところは立法権と一括交付金(国家予算の3%)の獲得を目指しています。これはひとつの参考事例になるのではないでしょうか。
それともうひとつ、『連邦主義的政党(フィデラル・システム)』は日本に合う地域政党の仕組みかもしれません。
ドイツのバイエルンにバイエルンキリスト教社会同盟という地域政党があります。ドイツ全土で活動するキリスト教民主同盟という国政政党は、当然ドイツ国内の各地方に支部がありますが、他の各地域とは違いバイエルンには支部を置かず、この地域政党と対等連携しています。同様に、イギリスの自由民主党も、スコットランドでは支部を置くことなく、独立組織スコットランド自由民主党と連携しています。イギリスの自由民主党はスコットランド自由民主党の政治判断に介入しないが、スコットランド自由民主党の国会議員は全国の自由民主党と行動を共にする。国政政党の県連が独立したようなものとも言えます。
経済的裏付けがないと厳しい側面もありますが、地域政党の可能性はこれからではないでしょうか。
そして、最後にもうひとつ。元来、沖縄は基地経済で成り立っており、基地がないとやっていけないという常識がありました。しかし、今、その考え方では無理だと、これまでの常識を覆し、新しいビジョンを持って臨んでいるわけです。そこに活路がある。地域政党の可能性にせよ、地方の可能性にせよ、同様に新ビジョンを示せるかどうか。それが問われているのではないでしょうか。
(2015・9・2 聞き手 村山祥栄)