対談:地方主権の発想『堀場雅夫 X 村山祥栄』
対談:地方主権の発想『堀場雅夫 X 村山祥栄』
地域主権国家という発想
- 村山祥栄
- 堀場さんは、地方に強い思い入れをお持ちになって、中央集権最盛期の70年代から、「これからは地方の時代だ」と主張され、今日、地域政党「京都党」結党に参画頂いております。今日は、この地域政党結党に至る経緯や思いなどをお伺いしたいと思います。
最初に、地域に対する考え方とそう考えるに至った経緯を伺いたいと思います。
- 堀場雅夫
- 私は昭和32年、初めてアメリカ行きました。ワシントンというのはアメリカの首都なんだから、どんなすごいところだろうな、と期待して行きましたが、とても小さい町でした(笑)。アメリカは、シカゴ、デトロイト、ヒューストン、ダラスと、それぞれの街にそれ相応の産業があり文化がありました。日本と全然違います。合衆国というのはこういうことかと思いました。アメリカとは何ぞやと一言で言えない。西海岸と東海岸っていうのは全く気風も違うし習慣も違う。それでいてそれぞれにまた魅力がある。これがアメリカの強さなのですね。
日本は政治・経済・産業、人口も東京一極ですが、そうではなく、北海道から九州まで、それぞれに産業があって、それをトータルして日本というものを考えていかねばならない、潜在的に当時からもう地方の時代だと思いました。
- 村山祥栄
- 地方分散型の産業育成はアメリカ独自の展開だったのですか?
- 堀場雅夫
- そうではありません。一極集中は発展途上の国の形態ではないかと思うのです。韓国ならソウル市、フィリピンならマニラ、どこの途上国行っても、効率を追求してその首都に全てが集まっている。しかし、先進国は違います。例えば、当時のドイツの首都はボンでしたが、人口は20万か30万くらいです。後はドイツ全土にとにかく色んな工場があります。そして、南ドイツ、北ドイツ、東ドイツ全部それぞれの文化がある。フランスも、イギリスもそうなんです。先進国を見ると、そこの国の場所場所に適した産業がおこり、適した政治活動が起こる。逆に途上国を見ると、これは何が何でもと集めています。世界中の動向から見ても、日本もいずれ一流国になってきたら、僕は自動的に分散になるだろうなと勝手に思っていました。しかし、依然として開発途上国と同じパターンで、日本の国は大きくなればなるほど中央集権が進んでいます。
- 村山祥栄
- そこで、独自の取り組みをなさってこられた?
- 堀場雅夫
- そうです。おかしいと思いだしたのは昭和53年、社長を辞めて会長になったときです。京都を活性化し、地方が活性化しなければいけないと思い、最初に京都の伝統産業の近代化や京都の新事業促進の為に「京都産業情報センター」を立ち上げました。京都の会社のための情報のバックアップ機能を図るところを作ったわけです。中小企業と大企業の大きな差はお金や人材という観点もありますが、一番の格差は「情報」です。当時の地方の中小企業は自分のマーケット情報や技術情報、東京の情報を全然持っていません。
情報格差です。僕が創業期、特許公報を見るのに一番時間がかかりました。発明協会には、天井まで特許公報が積まれ、それをはしご上っていちいち取ってきて1ページずつ見ます。自社事業と関係のある特許が既にあるのではと調べます。今はパトリス(特許検索システム)を使うと一発でわかります。こうしたことも含め、とにかく情報格差を埋めるべく取り組みを行いました。これは後に通産省が各都道府県に中小企業専用の産業情報センターを作るという構想へ発展していきます。
次に、地方には当時ほとんどいなかったソフトウェアの技術者の育成をはじめ、産学連携の促進、研究開発を総力を挙げて行い、京都の活性化を図るということで、京都高度技術研究所を作りました。このうちシステムエンジニア(SE)の育成については1年目に労働省と通産省との合併で都道府県にSEエンジニアを養成するという会社を作るということになりました。これもうちが0号です。その頃、高級SEは東京しかいないので、東京へ行かないと頼めない時代だったわけです。それを京都自体で養成して、何も東京のお世話にならないように京都で自己完結できるようにしろ、と指示しました。情報格差を跳ね除けて自社で開発をやる、その為には産学連携が必要だったので・・・。
大学については、明治維新のときに、東大以外に地方に6つも7つも国立大学を作りました。これは、地方の時代をつくるために明治政府がやったわけです。中央集権であれば東大ひとつで、学生はみんな東京へ呼べばいいのです。京都にも九州にも、あるいは仙台にも北海道にも作ったのは、ローカルはローカルで最高レベルの人材を養成して、そこで、そういう人達が産業を興し、各地で経済的な自立をさせる、いうことが国立大学の誕生の使命であり、建学の精神なのです。それが、学生闘争などがあるうちに、産学連携是か非か、そんな労働者を搾取するような企業に学が協力するのはおかしいというようなロジックが出てきました。私は、「ローカルで人材を養成してローカルが経済的・自主独立するように産業をバックアップするっていうのもお前らの役目なんだ」と歴代の京大の学長にレクチャーをしてきました。そういうことで、京都高度技術研究所はその道の先生達を全部集めて、中小企業の困っている問題を解決する機関としました。
他にも国の情報や大企業の情報、昔の旧国立の研究所の情報などをローカルな中小企業と結びつける日本新事業支援機関協議会という組織も作りました。
僕の心は33年間で、会社の第一線を退いてからは、中小企業、ベンチャー企業、すなわち各ローカルローカルにおいて、地場産業として、発展することによって日本の活性化があると信じて取り組んできました。
- 村山祥栄
- さて、情報格差を埋めて、地方で独立させるという課題に取り組んでこられました。昨今では、かなり地方と都市部においても情報格差は埋まったように思いますが、新たに今はどういう問題が発生しているとお考えですか。
- 堀場雅夫
- ひとつは、マーケットの問題です。首都圏で約3000万人強の人口、国民の25%以上が集中しています。所得格差も最も低い地域とは倍くらいあるわけです。そうすると、購買力で言えば、多めに言うと50%、少なめに言っても45%くらいは、あそこに消費地があるわけです。さらに東京周辺で流行ったものが北海道から沖縄まで流行るので、流行の90%は向こうにあります。そうすると東京好みのモノを作らないと売れないということになるのです。東京である程度やるのはいいが、東京へ行けば、価値観が1つになります。東京で良いと言ったものは日本中で良いとなります。一極集中の怖さは、価値観も一極になることです。結局、一定の規模になれば、東京に支店とか営業所を出して、マーケットをリサーチし、地方へフィードバックすることになります。そのうちそれも面倒なので、もう工場ごと東京周辺へ行こうとなるわけです。そして、これはおかしなことに集れば集まるほどさらに集まるのです。
- 村山祥栄
- しかし、地方が生き残っていくためには、人がいて、そのためにはそこで仕事ができる環境がないといけませんよね。
- 堀場雅夫
- それはにわとりとたまごで、会社がないと人は居つかず、人が居つかねば仕事も出来ない。最終的にはローカルローカルのそこに住んでいる市民とか県民の気持ちです。うまくいったら東京へ行って一旗あげようというのが、その人の生きがいなら仕方ない。しかし、東京ばっかりが日本じゃねえ、ここで一旗あげて東京の奴の目を向かしたろ!というような人間がいれば地場産業は頑張れるわけです。そして、もう1つ言えることは、うちが東京へ行ったとして、同じ立場でいられるかということです。例えば天皇陛下が入洛されたらお招きを頂き、大臣が来られたら、京都のお話聞きたいと呼ばれます。東京に弊社が行っても、天皇陛下が私にお話聞きたいって仰って頂けるかと言えば言われないでしょう。やっぱりこれは京都にいるからです。銀行もそうです。銀行の頭取は京都へ来られたら、うちに挨拶に来られるけど、東京に居たら、うちに挨拶に来られないでしょう。そういうことも全部含めて、地方大名にはその良さがあるわけです。
地方が生き残るためには
- 村山祥栄
- なるほど。ではその地方が生き残るために地方は何をすべきなのでしょうか。
- 堀場雅夫
- ひとつ言えることはそこでしかできないようなものを探し出すことです。例えば、今から20年前の北海道は大変で、沖縄以上に補助金漬けでした。これだけの土地があって、これだけの一次産品があって、これに付加価値を付けたら、レベルの高いおいしいバターやチーズ、ソーセージ、ハムを作り、世界中に輸出出来るのではと思いました。それから3年経ち5年経ち、それらが実践され、色々なバイオ関係の仕事などジャンジャンやりだました。結果、北海道っていうのは昔から比べたら自立率相当高いわけです。
同じように青森は青森で、青森ならではのものをやっていく。地方には1次産業がしっかり根付いているが、一番付加価値が少なく、なかなか企業として成り立ちません。一番労力が多くて、その割には付加価値が少ないのです。そこで、これから日本がやっていくのは6次産業です。一次産業に2次産業3次産業と同じような付加価値をつけます。青森のいいりんごでも1個20円、30円です。それが町へくると200円、300円になる。10倍の付加価値は流通とこちらの小売店で取られています。直売にすれば、半値でも付加価値は5倍から10倍です。サプリメントに至っては一瓶8000円です。こういった付加価値をつけた産業を育成しなければなりません。
もうひとつは、ひとりひとりの意識です。生まれた国や国民というのは、生まれ故郷や市民県民という考え方と同じです。例えば熊本県を捨てて東京に行くということは、日本を捨てて中国へ行くということと、発想としては同じことです。日本を捨てて中国へ行くとかアフリカへ行くって言う人は、極めて珍しいが、熊本を捨てて東京へ行くというのとあまり変わったことではない。なぜ、日本から離れられないかといえば、やっぱり日本人であるという誇りというか、日本を離れられない何ものかがあるわけです。同じ事です。それに、100坪の家に住んでいたのが、東京行けば15坪。地方なら1杯100円で飲めるビールが東京なら一杯1000円です。何が幸福なのかと思います。人生、自分の生まれた土地が一番強い、ここで勝負せえ!そんな気概を持って欲しいと思います。
- 村山祥栄
- なるほど。発想の転換ですね。では、政治としての役割をどうお考えですか。
そもそも、地域主権国家と最初に言い出したのは堀場さんだったと記憶しておりますが。
- 堀場雅夫
- 僕は最初、地方分権と聞いた時に頭にきました。「地方」というからには「中央」があります。「東京」は依然として「中央」で、お前らは「地方」という発想。「分権」っていうのは、「主権」がこっちにあるから分けましょう、ということです。それを「中央集権」といいます。それに対してなので「地域主権」なのです。地域、地域が主権を持ち、中央(政府)が、そういった地域、地域を取りまとめる。これが国の仕事です。それに加えて、国防です。アメリカのように州兵がおりませんから、これは国でやります。そして通貨。各都道府県で兌換金など出せば、ややこしいから、円なら円で同意する。だから中央銀行があるのもいいですね。そして、外交です。県単位で外交するっていってもこれは大変です。租税協定など沢山あるわけですから、それは国でやる。つまり、国は地方間を取りまとめ、外交と国防、国家財務だけをやり、それ以外は全部ローカルでやればいいのです。
- 村山祥栄
- さて、そのローカルでやることが、なかなか進みませんね。
- 堀場雅夫
- まずは、考え方の問題です。最近は二言目には「国は何にもしてくれない」と言いますが、戦争直後の焼け野原で、国は何をしてくれたでしょうか。国は潰れてなくなったのです。当時国民は皆、私達が何とかして国を立て直さんといけないという気概を持って望んでいたのです。それが今の「自立」は、全部おんぶにだっこです。町、市が何もしてくれない、府も国も親会社も何もしてくれないと。何なんだと言いたいわけです。
地方交付金を沢山取ってきたから優秀な政治だという時代は過ぎました。京都も国もお金がないから大変ですが、自立に向けて舵を切らねばなりません。
京都市民の働いた税金は国税で国が収納していますから、当然それは返して頂かねばなりません。だから、これを国に下さいという事自体おかしいのです。所得税というのは国税ですが、もともと京都の人が京都の土地で働いて得た利益の一部です。国で必要な分は納めますが、基本的には返して頂かないといけない。返してもらうのであって、貰いに行くのではないのです。
地域政党結党にあたって
- 村山祥栄
- 全国に向けて京都発信で、その新しい政治の形を作ろうじゃないかという意味で地域政党を作りましたが、そのあたりについてはいかがお考えですか。
- 堀場雅夫
- 「日本の夜明けは京都から」です。政治的にみても京都は常に一歩速いんです。
かつて、ずっと日本の首長は保守系でしたが、京都が初めて蜷川虎三という革新系を知事にしました。そして、革新系の首を一番早くに切ったのも京都です。その後に大阪の黒田了一、東京の美濃部亮吉といった革新系知事が誕生しています。今の民主党にしても全国に先駆けて議席の過半数を確保したのは地域で見るとまず京都です。そのあとに国も過半数になりました。だから、京都を見てれば、政治の流れがすぐわかります。
- 村山祥栄
- 確かに京都は新しい改革の流れを作り出していますね。
- 堀場雅夫
- その京都で、地方の為に、地域を思う政治家が政治をやるという地域政党が発足した意味は大きいわけです。国の政策を見ながら、この政策は自民党政策がいい、あちらの政策は民主党がいいといった風にやるのはいいが、これまでのように自民党党員が、民主党員が上を見ながら京都を考えてもらったら困るわけです。
- 村山祥栄
- この上を見ながらというのは、私も納得がいきません。普段から皆さんに「次は国会議員か」なんてことを冗談交じりに聞かれますが、根底にはやはり国会議員、国のほうが偉くて、地方はその下という意識が根強い感じがします。
- 堀場雅夫
- 当然です。実際に、今の市会、府会議員はどっかの国会議員の下にいるわけですから。
それが、解せないから、「京都党」ができているわけですが、現在はそうなっています。
ただ、これは学校教育などを見てもそうです。今でも、小学校の先生は中高の先生よりもレベルが低いと言う風潮があります。中高の先生より大学の先生、教養学部の教授より学部の教授、学部の教授より大学院の教授が上、とこうなっています。しかし、現実は違うわけです。本当は人格形成に重要な小学校の先生が一番人間的に素晴らしい人で、その次が中高の先生にせねばなりません。小学校、中学校でしっかり人間形成が出来れば、大学は専門家さえいればいいのです。だから、月給も小学校の先生が一番高くするべきなのです。同じように地方議員が市民と一番接触していますから、一番高給で、国会は逆に地方からの下請け、委託業ですから、薄給でいいのです。
- 村山祥栄
- 給与はともかく、そういう意識を社会全体に醸成していかないといけませんね。
- 堀場雅夫
- その為には、まず独立してその自分の考えを制限されない、自分の言葉で話せて、自分で行動できるような組織がないといけません。「私は自民党員ですが好きなこと言っています」では自民党の意味がないですからいけません。その為には、一人一党にするか、上の顔色見ずに動けるローカルを第一にする政党を作るか、どちらかしかないわけです。
- 村山祥栄
- さて、具体的にその政党を結党したわけですが、我党の特徴は堀場さんをはじめ政・官・財・学と幅広い人材によって結党されたことだと思っていますが、その点はいかがですか。
- 堀場雅夫
- そうですね。党というのは、あるひとつの思想の元に集ったグループであって、その中からディリーにアクションを起こそうという人が議員になればいいのです。党というのは市会の党とか府会の党、国会の党である必要はありません。事実、共産党はそうですからね。だから、「京都党」もそういうイデオロギーを持った人々の集りで、その中から市会議員になる人も国会議員になる人も、経済人になる人も、お坊さんになる人もあればいいのです。私はずっと地域主権国家が必要、地域政党が必要だと言い続けてきました。そういった発言をしている公式の印刷物も沢山ありますから、本当です(笑)。そして、そういった思いの持ち主が集まって出来たのが、「京都党」なのです。
「京都党」結党から一年
- 村山祥栄
- 地域政党が出来て、一年を迎えましたが、一年間を総括して率直なご感想はいかがでしょうか。
- 堀場雅夫
- 欲を言えばきりは無いですが、結党して半年で選挙でした。8人立候補して、トップ当選2人を含めて4人が当選、3人が僅差で次点、市内で10%の得票を頂き、既に市会で活躍をしているという実績を見れば、これは驚くべきことです。これはやっぱり京都の人が望んでいたということでしょう。だから、自信持たないといけない。ただ、第一次の反応としてはちょっと出来すぎで、逆に心配です。ちょうど商売始めて、半年ぐらいでドーンと大きな会社からの注文を頂いたようなものですから、より謙虚に慎重に行動し、今後益々活躍をして、市民の皆様が「なかなかやるやんか。やっぱりあれを応援しよう」というところまで定着させねばならないですね。
国の体たらくは言うまでもないですが、国会議員、総理大臣ですらあのレベル、ましてや府会、市会なんてどうしようもないだろうと言うのが、みんなの考えです。その中で、「やっぱり京都党は違うな」とならないといけません。
例えば、今度の大文字の件がいい例です。
- 村山祥栄
- そうですね。この件は、陸前高田の薪を京都に持ち込んで五山の送り火の際に大文字で燃やすという話でしたが、二転三転し、あれだけ自信を持って「燃やす」と仰った門川大作市長が最後は燃やさないという決断をしました。結果、全国から京都に対して厳しい声を頂き、また東北の風評被害が全国的に広がる契機になった事件でした。
- 堀場雅夫
- この件については各政党ずっと沈黙です。この件で黙らず、かくかくしかじかこう思うと、発信し続けたのは「京都党」だけです。言いも悪いも含めて常に発信しなければなりません。送り火は、そもそも精霊に対して昇天していただこうというものです。その精神とは全く違うような発想で事態が進んだことに対し、京都市民はみんな怒り狂ったわけです。この京都人のサイレントマジョリティーを表にしっかり出して、堂々とこれを発言し、行動するっていうのが「京都党」であって、まさに地域政党である由縁なのです。
- 村山祥栄
- あの発信の意味は大きいと?
- 堀場雅夫
- 大きいですよ。あの大文字の時には他の党は何をしました? 少なくとも、「京都党」は京都人のプライドをしっかり持ってそれに当たりました。これ1つ見ても、「京都党」というのは、どういうその倫理観、価値観を持って動いてるかということを理解して頂くよい事例です。批判だけでも肯定だけでもなく、明確な価値観を以って、是々非々で判断をしていかねばなりません。是々非々といっても、いい加減な考え方だと言う方がいるがそれは違います。是々非々は自分の信念がはっきりしていないと使えません。「ええもんはええ、悪いもんは悪い」ということを明確にすることが是々非々です。それを、曖昧にするという意味で使われれば、これは悲劇なのです。いずれにせよ、是々非々の正しい行動を期待しています。
全国の地域政党のあり方
- 村山祥栄
- さて、全国の地域政党を見ますと、地域政党いわてから橋下知事の引っ張る維新の会まで、かなり多種多様です。このあたりはどうお考えですか。
- 堀場雅夫
- 広い意味の地域政党というのは、国政の一党一派に偏らない第3政党というのか、志を同じくする人が集った政治的な党という解釈ではないでしょうか。だから、橋下さんのやっているのが、地域政党であるとかないとかということは言う必要は全くありません。確かに橋下党ですが、少なくとも自民党でも民主党でも共産党でもないわけです。橋下の価値観、あるいは橋下の基本的な考え方に同調した人達が集った党で、これは地域政党のひとつの形ではないでしょうか。また、「京都党」というのは、京都という町をいかに活性化し、そうすることによって日本を活性化しようという目的を持って、市政に携わっています。これもひとつの地域政党の形です。one of themでいいのです。地方政党っていうのは、上部団体に組みせず、ひとつの思想や政策、目的を持って同志が集まり行動する地方の集団だという風に僕は解釈しています。「京都党」は、別に堀場雅夫の思想でもなければ、あなたの思想でもなければ、誰の思想でもありません。要するに京都という町を活性化することによって日本を立派にしていこうという為の政党なのだと思います。
地域を目指す次世代へ
- 村山祥栄
- 最後に、日本のベンチャーの先達として、地域政党に対して一言アドバイスを。
- 堀場雅夫
- 政治も経済もまったく一緒で、お客のニーズがなかったら会社っていうのは絶対成り立たないのと同じように、政党というものはその関係してる地域のニーズを満足させられなければ絶対伸びないですよ。存在価値が認められなければ潰れてしまう。しかし、問題はその製品がほんまものであるかどうか。「自分はほんまもんを作っているから絶対お客をがっかりさせない」という応援者に最終的に満足を与える自信と信念、そしてその自分のフィロソフィーを曲げないことですね。そうしたら必ず成長する。しかし、奇をてらって、ちょっとこういうこと言えば票が集まるだろう、ちょっと売り上げ増えるなということは絶対やってはいけない。もちろん、お客様のニーズにあったものを作っていくけれども、迎合をするわけではなく自分の信念で作ります。
うちは分析屋として、これは必ず社会の役に立つという信念を持ってコツコツ積み上げてきました。放射線にいたっては昭和28年からやり続けているわけです。それが今、六十何年目に花開いたわけです。
しかし、政治はそれよりもっときついかもしれないですね。西郷隆盛や坂本龍馬も百年以上も経って、やっぱりすごいなと見直すわけですから、これが政治家なのではないでしょうか。自分の信念を曲げずに正しいことやっていれば、必ず捨てる神もあれば拾う神もあるのです。この信念だけはもう曲げたら絶対あきまへん。理念をしっかりと抱えて頑張りましょう。
- 村山祥栄
- 本日はお忙しいところ、ありがとうございました。
(収録/平成二十三年九月)